ドキュメンタリー映画Dancer

セルゲイ・ポルーニンのドキュメンタリー映画Dancerを鑑賞しに
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Walter Reade Theaterへ。

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1989年ウクライナの小さな村、裕福でない家庭に生まれたSergei Polunin
母Galina Poluninaは、彼を体操選手としてオリンピックに出したかったよう。
バレエに転向しても、両親からの期待が大きく
(自分がバレエを選んだのではない。母が選んだ と)
ステージママのおかげで、子供の頃のかわいらしいダンス映像が楽しめました♪
友人と一緒にキエフのバレエ学校の入学試験を受けて合格。
試験官は彼の才能の素晴らしさに涙した と言う逸話が。
キエフに引っ越し、学費を稼ぐため父はポルトガルへ出稼ぎに。
ヌレエフ財団の奨学金を得て、13歳でロイヤルバレエ学校に入学。
バレエ学校時代のレッスン映像もあったけど、クラスメートと比べても
ずば抜けて上手い!

その後は、バレエファンなら誰もが知ってるストーリー
2006年ローザンヌで金賞
Youth America Grand Prixでも優勝(NYではYAGPガラ出演でお馴染み)
バレエ学校卒業後2007年、17歳でロイヤルバレエ団に入団。
19歳で史上最年少のプリンシパルに昇格、スターへの階段を一気に上り詰める。

22歳になった2012年1月、初日を控えた公演直前
アンソニー・ダウエル指導のもとコジョカルと「真夏の夜の夢」のリハーサル中
突然部屋を出て、電撃退団
(そのせいでスティーブンが超過密スケジュールになり、ゴメスが急遽初ゲスト出演)
10歳年上の彼女Helen Crawfordと別れたことも影響?
両親から過大な期待をかけられ、バレエのために多くを犠牲にし
高レベルを維持して踊り続けるプレッシャー
海外ゲストが許可されないロイヤルバレエ団に対する不満など でプッツリ切れた?
他のダンサー達のように、もともと踊るのが大好き!ってわけでなく
若くして頂点を極めて燃え尽きてしまったのか
精神的に幼いところもあったのかな。

退団して労働ビザが切れてしまい、イギリス滞在が危うくなる。
既に出演が決まっていたアリーナ・コジョカル・ドリームプロジェクトで日本に行く際
イワン・プトロフ主催「Men In Motion」に出演するのに
イギリスに再入国できるよう、サドラーズウェルズ劇場に手配してもらう。
NYでも出演が決まっていたYAGPガラに来るのか
ヤキモキしたけど、ロホが連れてきてくれてホッ

ABTへ入団をアプローチをしたけど、マッケンジー芸監に
フルタイムではいらない と言われたとか?
ボリショイからは高額オファーがあったけど、断ったそう。
(海外ゲストで自由に踊れないから?)
当時モスクワ音楽劇場芸監だった憧れのゼレンスキーに出会い導かれる。
ポルーニンに声をかけてくれて、ありがとう~!
今でも彼の踊る姿が見られるのは、ゼレンスキーのおかげだね。

審査員と視聴者の投票で順位を決めるロシアのTV番組
ボリショイ・バレエ(ビッグ・バレエ)に、シャプランと出演。
タマラ・ロホのロイヤルさよなら公演で「マルグリットとアルマン」を踊ったり
ゼレンスキーが芸監をするノヴォリシヴィスク国立オペラバレエ劇場で踊る
スパルタクスのお宝映像あり☆

そして、ホージアのヒット曲「Take Me To Church」
Jade Hale-Christofiが振付した、David LaChapelleの映像
だんだん現代に近づいてきた~
坊主になったり、ザハロワの相手役で呼ばれたり。
オシポワの相手役で呼ばれて、付き合うようになり
オシポワがノヴォリシヴィスクにゲスト出演して一緒に踊ったり。
現在2人はゼレンスキーが芸監になったミュンヘンバレエのゲストプリンシパルに。

そして11/10-12New York City Centerで、公演があります。
この映画上映が、良い宣伝になったのでは?
Russell Maliphant振付Silent Echoのチラ見映像もあり。

上映後は、監督 Steven Cantorとポルーニン本人も登場してQ&A
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そのうちABTにもゲスト出演してくれないかなぁ。
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テーマ : バレエ - ジャンル : 学問・文化・芸術

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