Letter to a Man@BAM Harvey Theater

Letter to a Manを鑑賞しに、BAM Harvey Theaterへ。
BAM

1890年キエフでポーランド人の両親の間に生まれたニジンスキー。
18歳でマリインスキー劇場主役に抜擢。
1909年ディアギレフがバレエ・リュスを旗揚げし、ニジンスキーはアンナ・パヴロワらと活躍。
自身の振付作品も上演し「春の祭典」初演の大騒動は
映画「シャネル&ストラヴィンスキー 」でも描かれている。
1913年、バレエ・リュス南米公演中(ディアギレフは不参加)ハンガリー人バレリーナ
ロモラ・デ・プルスキとブエノスアイレスで電撃結婚。
ニジンスキーと恋仲だったディアギレフは、二人を解雇。

ロシア国籍のニジンスキーは、第一次世界大戦中ハンガリーで拘留される。
1916年ディアギレフはバレエ・リュス北米ツアーのため
再びニジンスキーを呼び戻す。
が、この頃から統合失調症の兆候が現れ始め
1919年スイスでの最後の舞踊公演後、神経衰弱に陥り
狂気の世界に入る。
精神病院に入院するまでの約6週間で「ニジンスキーの手記」を書き上げる。
nijinsky

最後の舞台では、ニジンスキーはしばらく動き出そうとせずに
舞台中央の椅子に腰を下ろしたまま、観客を見つめていた とか。
(暗黒舞踏がない当時の観客は解釈がわからずに当惑)
そんな逸話を思い起こす最初のシーン。
Letter to a man4

「ニジンスキーの手記」を基にしたバリシニコフ1人の舞踏劇。
舞台は、ニジンスキーが執筆をやめた20年後の1945年
ナチス侵攻に遭った第二次世界大戦中ハンガリー。
バリシニコフが、ロシア語・英語でニジンスキーの言葉を朗読(録音)
確かお兄さんも精神病だったっけ? と思い出すフレーズがあったり
I fought with my mother-in-law
とは、ハンガリー人の義母のこと?
"I am not Diaghilev."と言うフレーズもあり、ディアギレフの写真も登場。
Letter to a man2

Letter to a man1

Letter to a man5

ニジンスキーの人生が、朗読の言葉に散りばめられた的な。
手記を読んでいたら、もっと楽しめたかもしれません。
繰り返しの朗読と制御された動きは、狂気 と言うよりも
夢と現実が混同しているようなカンジ。
バリシニコフの立ち姿や所作が美しく、68歳に見えない!
音や照明を効果的に使って、表情や動きで詩を語っていたようでした。

Letter to a man3
オーラがあったミーシャ☆ 彼のように素敵に年を重ねたいものです。

☆NY Timesのレビューは、こちら
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